中学校長ブログ:学びの実践の場〜中3研修旅行より
日常の風景
先週は中学3年生の3泊4日の研修旅行に同行いたしました。
4日間とも天候には恵まれ、幾分穏やかな気候の中で充実した研修を行うことができました。
校外学習は実践の連続です。各教科、例えば平家物語の那須与一の物語を国語で学び、太平洋戦争や原爆投下についてあるいは平安京や仏教伝来について社会で学び、日本の伝統美について美術で学び…。こうした様々な教科の学びに加え、徳育K-compassで学んだ協調性、協働性、コミュニケーション力、時間マネジメント、公共マナー…などなど。
3年間の学びで日々机上訓練してきたことを、研修旅行という場で総合的にプログラムとして発動できるかを試す4日間でした。
情報を私たちが得るのには、様々な方法があります。目で見る、耳で聞く、触れる、嗅ぐ、味わう。
授業を通じて教わったり、ネット・書籍で調べたりしたこともたくさんあったと思いますが、実際の雰囲気や空気を感じることには大きな差があります。
その一つは、広島での研修でした。
お好み焼き、路面電車、厳島神社、いろいろありますが、特に印象的だったのは、被爆体験者による平和講話です。
講師の方が、70年前に何を見て、何を体験したのか。生徒たちがヒロシマで目にした「時の止まった遺構」と、講師から静かに語られる言葉とが符号したとき、ものすごいリアリティをもって講師の体験が生徒自身のものになったのだと感じました。
また、京都・奈良での研修では、古都ならではの空気感を生徒たちは感じたのではないかと思います。
太古から見つめる興福寺阿修羅像の柔らかな眼差し、龍安寺の石庭、伏見稲荷の千本鳥居、挙げればきりがないですが、時の重みはそこに固着した染みやヒビから読み解く以外感じることはできません。
薄暗い興福寺国宝館や広隆寺霊宝館の中で、木像や塑像に一生懸命目を凝らし、メモを取る生徒たちの姿が印象的でした。
自国の文化を知るということは、同時に外国人にとっての異文化を内側から見つめるということでもあります。特に京都では、生徒たちは自作の扇子をお土産に、外国人へのインタビューを英語で行うという課題にチャレンジしました。
実際の取り組みは、市内班別研修で行われましたから、“現場”を目にする機会は数班を除いてほとんどありませんでした。一部のグループにはipadで記録を取ってもらいましたが、果たしてどうだろうという心配をよそに、ほぼ全員の生徒がこの課題を達成したようでした。
棒読みだったかもしれない、英語が伝わらなかったかもしれない、しかし、何かを伝えて、何かが伝わったというのは、コミュニケーションとして生徒たちの大きな経験値になったのだと思います。
広島であれ、京都であれ、奈良であれ、もし他の研修地であったとしても、間違いなく研修旅行は普段の授業や学校生活の延長線上です。私自身が感じたのは、学校生活の中でできていることはでき、逆に課題はやはり課題なのだということです。学んだ個々の事柄もそうですが、全体としての学びを教室につなげ、引き続き学び続け、深めることが生徒にとっても私たちにとっても大切です。そうやって考えると、研修旅行の終わりは始まりとも言えます。
浜松開誠館中学校校長 永井 靖