高校校長だより:2・3月合併号
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第18回卒業証書授与式 式辞
正門の白梅が咲き誇り、早春の気配満ちゆく、今日の佳き日に、多数のご来賓、保護者の皆様のご臨席のもと、誠心学園浜松開誠館高等学校 第18回卒業証書授与式を挙行できますことは、卒業生はもとより、本校生徒・教職員一同、誠に光栄であり、心から感謝申し上げます。
第18期生 291名の皆さん、ご卒業おめでとうございます。これまでの皆さんの努力と研鑽を心から讃えたいと思います。また、この日まで長きにわたって皆さんの勉学を支え励ましてこられた保護者の方々に対しましても、ここに深く敬意を表します。
本日のこの喜びは、卒業生の皆さんのたゆまぬ努力の結果であることは言うまでもありませんが、皆さんのことを絶えず気遣いながら、支えてくださったご家族と周囲の方々の励ましの賜物であることを決して忘れてはいけません。この人生の節目に当たり、お世話なった方々へ素直に感謝の気持ちを伝えてもらいたいと思います。
卒業生291名の進路先の状況の一部を紹介させていただきます。就職希望者41名全員が決まりました。就職先は、防衛大学校、航空自衛隊、スズキ自動車、ヤマハ発動機、遠州鉄道などです。進学先では、パイロット校の関西大学をはじめ、ノーベル賞学者の天野教授がおられる名古屋大学工学部、慶應義塾大学、明治大学、中央大学、青山学院大学、東京理科大学、立教大学、立命館大学、などです。他大学や専門学校につきましては、玄関の掲示をご覧ください。また、これから、国公立中期後期試験・私大入試などを受験する人は、最後まで頑張ってください。
魚は泳ぐことができます。でも泳ぎ方を変えることはできません。
鳥は飛ぶことができます。しかし、飛び方を変えるができません。
しかし、ヒトは、単に、泳いだり、歩いたり、走ったりするだけでなく、より良くと工夫します。空を直接飛べませんが、飛行機を発明しました。つまり、そのやり方を変えることができるということです。いろいろな経験や失敗から学び、よりよく創意工夫して変えることができます。ヒトだからこそ、『生き方』『あり方』を学ぶのです。これからの日本や世界で、職業も様変わりすると言われ、また、日本の若者は親の生活水準と比べ、自分たちはより豊かになると思ってはいないという統計もあります。日本の教育も大きく変り、従来の知識偏重から、知識技能はもちろんのこと21世紀型といわれる「思考力+判断力+表現力+協働性」の教育が求められています。このような将来に対し、『7つの習慣J』を学んだ皆さんは臆することなく挑戦していくことができます。
皆さんは、問題に直面しても、挫けず自ら答えを出す力を すでに身につけています!
つぎに、宇宙飛行士の山崎直子さんのお話を紹介します。*
千葉県松戸市出身の山崎さんは、少女時代に松戸市のプラネタリウムに足繁く通い、影響を受けたといいます。チャレンジャー号爆発事故が起きたのは彼女が中3の時でした。その時彼女は「亡くなった宇宙飛行士たちの意思を引き継いで、宇宙の素晴らしさを子供たちに伝えたいと思い、宇宙を志した」と言っておられます。1999年に宇宙飛行士候補に選抜されたものの、宇宙に行ける保証はない、訓練の意味があるのかと挫折しそうになったことを語っています。 「ゴールの見えない中でずっとマラソンを続けているような日々でした」と。
特に4年目の2003年、スペースシャトル・コロンビア号が空中分解をする大きな事故が起きて、宇宙計画自体が不透明になってしまい、この事故では一緒に訓練をしていた仲間7人が亡くなったこともあって、しばらくは呆然としていました。山崎さんは長女を出産した後で育児休暇中でしたが、保育園入園も決まってそろそろ訓練に復帰しようか、と思っていた矢先の大事故でした。アメリカの宇宙船が飛べないということで訓練計画も大きく変わりました。長女を日本に残して急遽ロシアに行き、さらにアメリカに移って訓練を続け、飛べるのかな、飛べないのかなと思いながら、それでも訓練だけは重ねていきました。
このように自分の力だけではどうしようもない壁に直面した時に励まされ、支えになったのは、高校時代の担任が紹介してくださった言葉だったそうです。それは、20世紀のアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーが1943年、小さな教会で説教した時の祈りの言葉でした。
「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」
この言葉をたまたま日記に書き残していて、大人になって、それを読み返した時、大きな力をもらったそうです。いま自分ができること、変えられることが何かあるはずで、それをやっていくことで一歩一歩 夢に近づいていけるのかなと。実際、彼女は「おまえたちが訓練するスペースシャトルは飛ばないよ」と何度も言われてきました。しかし、飛べるチャンスが1パーセントでもあるかもしれないと信じてやってきた。
山崎さんは1999年に宇宙飛行士に選抜されから、なんとその11年後の2010年4月に、ようやく夢がかない。スペースシャトルディスカバリーに乗って、国際宇宙ステーションに到着。15日間の宇宙滞在中に数々の任務を果たされました。
「変えることのできるものには変えるだけの勇気を、
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを、
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を」
終わりに当たり、保護者の皆様には、この三年間または六年間、ときには厳しくときには優しくお子様を励まし支えていただいたこと、本校の教育活動に絶大なるご理解とご協力を賜りましたことに心から感謝申し上げます。
卒業生の皆さん、私たち教職員一同は、「すべては生徒の為に」を信条のもとに、全力で指導にあたり、また、共に学んで参りました。前途有為な皆さんとともに三年間または六年間、同じ学舎で過ごせたことに感謝しつつ、送り出すことができました。それでは卒業生の皆さんの洋々たる前途が、健やかで幸多きことを心から祈念して式辞といたします。
平成二十八年 三月 一日
誠心学園 浜松開誠館高等学校
校 長 中西 孝徳
*山崎さんの話『致知』2015年12月号